殉ずるに値しない国は棄ててもいい

その日東京駅五時二十五分発, 西川美和
その日東京駅五時二十五分発, 西川美和

西川美和さんの小説に、『その日東京駅五時二十五分発』という小品がある。彼女の叔父の体験(手記があった)をもとに、終戦の前日から翌日までの二日間の出来事を描いたものだ。

通信部隊に配属された少年兵はただ訓練に明け暮れていただけ。14日に突然上官から部隊の解散を告げられる。その日の夜、同じ部隊の友人と二人、郷里(広島)にもどるため東京駅までたどり着き、汽車を待つ。「その日(終戦の日)東京駅五時二十五分発」の列車に乗るために。そして少年は、故郷広島の惨状を何も知らない。

灰燼に帰した広島におりたった少年は、家への道の途中で、自転車に箪笥や鍋釜などの生活用具をいっぱいに積んだ少女たちと出会う。呆然としたままの自分と比べ、敗戦の翌日から「生活」にむけて動きだしている女たちの何と逞しいことか。そこで話は終わる。

10年くらい前、八十歳近くなった父からあの時のことを聞いた。それは「あの戦争の時代、実際には何も考えていなかったのだ」ということだった。周りの大人は勇ましいことを口にし、自分も教師のすすめるままに海軍兵学校にはいった。が、自分自身、周りが言うから「そういうものかな」くらいの考えしかなかったと。そして二年もしないうちに終戦になり、自分の依って立つ基盤が消滅してしまった。

ただ、父は「子どもであったとは言え、(あの戦争について)考えること自体をしなかったんだ。今になってみれば無意識で無自覚であった、反対や抵抗をしたわけでもなかったからな」と言い、「ただ、あの戦争で尊敬する先輩や知人も多くが亡くなった。それを思うと軽々しく言葉に出来ない」とも。その後、どんな話をしたのか詳細は覚えていないが、ただ、「殉ずるに値しない国は棄ててもいいんだ」、その言葉だけは記憶している。