マスク族はブキミだ

気がつくと、マスク族が氾濫していた。朝の散歩の途中で行き交う人、地下鉄の駅に向かう人々にもマスクをしている人が目立つ。ジョギングしている女性はマスクのうえに帽子をかぶりサングラスまでしている。

朝まだ薄暗いなか、大きな帽子に大きなマスクで顔が見えない、そんな風体の人に鉢合せして思わず声を上げそうになるほどにギョッとした。
ある会合で同席した知人女性が「この前の日曜日、あそこのスーパーで買い物してたでしょ」と私に訊いてきた。「スーパーなんかに出かけるときはいつも大きなマスクして。お化粧しなくても良いし、まだ誰にもバレたことはないのよ」と、言葉は自慢げにも聞こえた。

一昔前の映画やテレビドラマでは、帽子を目深にかぶりマスクをした人物といえば犯人や逃亡者のありがちな描かれ方だった。その姿には多くの人が「怪しい」「変だ」「不気味だ」と感じる、だから成り立った。そういう認識が社会にあったからだ。

亡くなった天野 祐吉さんの『成長から成熟へ――さよなら経済大国』, 集英社, 2013年11月20日にも、この「マスク族」(天野さんは「マスク人間」と書いている)のことが「世の中の歪み」の例としてふれてある。
曰く「昔は、マスクなんかかけている人は、めったにいませんでした。だいたい、マスクをかけると顔が見えなくなる。顔が見ないというのはブキミなものです」

マスクをかける人にはそれなりの理由があるのだろう。風邪をひいているのか、花粉症でハナがずるずるなのか、それとも顔を出すことをはばかる何かがあるのか。ただ、マスク族の広がりについては、私も天野さん同様に、異様で不気味な光景だと感じている。

マスクをかける人は、そのマスク姿を不気味に感じる人がいる、そのことをどう思っているだろう。何かしらの配慮をしているのだろうか。そんなことは考えたことすらないのかも知れない。私にはそれがもっともブキミだ。