SNSに倦む

半年ほど前に、中高年向きというSNSに登録した。が、二月もせずに倦んでしまった。

外国に行く仕事はもうこれでお終い、と決め、少しばかりの仕事(年金がもらえるまでにはまだま期間があるので)と、今まで時間がとれずに十分ではなかった読書や映画や音楽や散歩などで過ごしてきた。妻が早世し、予期もしていなかった独りになってみて、ふと、同じような境遇の同世代は何を思い、どう日常を過ごしているのか、知りたくなった。

このSNSには、「日記」というブログと類似したサービスがある。会員の「日記」をしばらくは見ていた。が、飽きた。「どこに行った」「何を食べた」といった類いの記事がとても多いのだ。小学生の絵日記とまでは言わないけれども、それと大差ないような。それ以外でも、ニュースや新聞報道を切り貼りした評論めいたもの、見た映画や読んだ本のあらすじがほとんどの感想だとか、そんなものを見ていること自体が人生の時間の無駄遣いに思えてきた。(「日記」の内容よりも珍妙な言葉遣いや誤字脱字、果てには罵詈雑言の応酬もあるのだが、それは追々に)。

「アクティブでスタイリッシュなシニア」は、旅行や食事、衣料などに金を落としてほしい産業界の要求だろう。若者や子育て世代は生活とお金に余裕がないのだから。
「元気でいきいき自立したシニア」は、医療費や生活保護、年金の支出を抑えたい国や自治体には望ましいシニア象そのものだ。(65才までに退場してもらえば、なおのこと好都合だろう)。

どこかの誰かのための、思い込まされた「正しいシニア象」は政府や自治体の広報、放送・出版の宣伝に溢れている。「どこに行った」「何を食べた」と書いている人たちは、どうも「出かけた」「食べた」ということを文字や写真にすることで「充実してるんだ」と自らに言い聞かせているような、そんな感じがしてきたのだ。

どこかに満ち足りた日常をおくっているシニアがいるとして、それらの人たちはこの種のSNSで自分の充実ぶりを見せたいものかどうか、疑問に思う。そもそも満ち足りた幸せはあえて他者に「見せびらかす必要はないもの」だから。