振る舞いへの感性

いつも行くスーパーでのこと、レジで会計を済ませ、荷物を買い物袋に移していると、隣にいた女性が両手でくるくるとポリ袋を巻き取り、自分の買い物袋に入れたのだ。盛大に巻き取っていたので目についた(実際は音で気付いたのだが)。そのときに私は「さもしいなぁ」と感じ、こういう女性(男性もいた)は嫌だなと思った。

うどん屋で爪楊枝を余分に失敬する、喫茶店などで紙ナプキンを失敬する、まさか割り箸まで失敬する人は少ないだろうが、こういう行為を良しとするかしないか、そういう振る舞いへの感じ方の違いは、例えば、結婚生活などにおいては感性のズレとして蓄積してゆくのだろうなと思う。

吉村昭さんの短編に『再婚』という話がある。

主人公は、妻を亡くして3年、定年を迎えた男。独り暮らしにも慣れたが、同期会で会った友人が再婚をすすめる。本人も寂しさから「それも良いかな」と思い始める。二度見合いをする。一人は亡くなった妻と同い年、未婚の女性。「ここまで老けることができるのか」と思うほどの顔の皺、話題の乏しさに「まだ妻に思いがある」と断る。次に、会社の部下だった女性、淡い好意を抱いていた。夫を亡くし、再婚に乗り気だと。昔の思い出から期待して出かけるが、立ち居振る舞い、表情、話題(音楽の趣味、民謡の踊りを楽しんでいる)、ホテルのレストランで注文がハンバーグ(主人公はタンシチューに温サラダ、ワイン)、食べ方にも違和感(無言で、忙しない)をいだく。話がはずまず、会計をしようと起ち上がる。ふと後ろをみると、その女がテーブルの爪楊枝を何本かハンドバッグに素早く忍ばせる。決定的な違いを見て、主人公は断り方を考え始める。平凡な夫婦だと思っていたが、亡くなった妻は自分にとって最良の女性だったのだと再認識する。

何をして「さもしい振る舞い」と感じるかは人それぞれだろう。が、人の相性を考える時、好きなことが似ているよりも、嫌いなことが同じ、という方が大切であるように思える。妻とは嫌だなぁと感じることやものが同じだったのだと、今更ながらに思う。

さて、その後、いつものスーパーでそんなことをする人は多いのか、さりげなく観察していると、一二枚くらいから両手でたっぷり巻き取る人まで、態様は様々だが、結構な確率でいることに気付いた。