一冊の本が人生をも変える

先ほど、「ル・コルビュジェの建築作品群が世界文化遺産に登録」決定の報があった。日本では東京の国立西洋美術館(1959年・基本設計)がその一つだ。

ル・コルビュジェ(Le Corbusier, 1887~1965)の建築物は直線的な造形が特徴で、アール・ヌーヴォからアール・デコ全盛の20世紀初頭においては相当に前衛的で異端であったと思う。1935年刊行の”La Ville radieuse”(直訳すれば「輝く都市」, 日本では未刊行。戦後に『輝く都市』として刊行されたのは別の著書)は、単一の建物や施設の建築から計画的な都市へと、建築の新たな地平を拓くものだった。目指す都市は「次の世代の世界の人々にとって、楽しく、住みやすい、ユートピアみたいな都市をつくる。建築家は、建物だけではなく、みんなで共存する都市そのものを作ってゆかなければならない」そういう主張だった。

コルビュジェのこの本は、当時、日本で建築を学ぶ人たちに一種の熱狂を持って迎えられたようだ。柳宗理(工業デザイナー、1915~2011)さんもその一人だ。

柳宗理さんは出征する時、コルビュジェの『輝く都市』(1935年版の原書)を背嚢に隠して戦地にまで持っていったのだと言う。もしも見つかったら大変なこと、下手をすると命に関わるかも知れない。もちろん戦地にいればいつ死ぬかわからない。だからこそ、この本とともにありたかったのだと。

柳さんが送られた先はフィリピンで、待っていたのはジャングルのなかを逃げ回る日々。とうとう南方の島で敵に追いつめられた。弾のなかを必死に走って逃げると海岸に出た。敵は直ぐ近くに迫ってきている、逃げ場は海しかない。その状況で、柳さんは背嚢から本をとり出して砂に埋め、海に飛び込んだ。そのあとどこをどう逃げたのか、気がつくと別の海岸に泳ぎ着いていた。そして終戦の翌年、生きて日本に戻ることができた。柳さんは、日本の工業デザイナーの草分けとして戦後の日本の復興と都市を先導した。

この話は、『本をめぐる物語』角川文庫, 2014にある、原田マハ「砂に埋もれたル・コルビュジェ」の後書きで知った。

一冊の本が、ときには人生をも変える。戦前、コルビュジェの「次の世代の世界の人々にとって、楽しく、住みやすい、みんなで共存する都市をつくる」が熱烈な支持をうけた時代に、その隣国では『わが闘争』が別の熱狂を生んでいた。人を動かすのは言葉か思想か、それとも鬱屈なのか、そんなことを思う。