やはり京都は奥深い

手洗いに続く回廊から庭をみる(2016.09)

平野神社の西側、住宅地を歩いていると、小さな和風の喫茶店があった。その日は車の十二ヶ月点検でまだ1時間くらいはかかる。コーヒーを飲みながら本を読もうと入ると、その店の奥はかなり手の込んだ日本庭園になっている。コーヒーを頼み、「お庭を拝見しても?」とたずねると快く了承してもらった。

このお庭はかなりの広さ(南北20m、東西15mくらい)で、高低差があり、中央には石橋と島のある池があり、どうやら元々の地形を利用した庭のようだ。南東角には茶室、西側は池に張り出した高床式のレストラン。元は大きなお屋敷の一部だったのだ。

茶室横から池をのぞむ(2016.09)

大正初め頃の地図を見てみると、その庭を含む一街区が一つのお屋敷だった。いまは周囲がアパートや住宅に囲まれている。道路に面しているところも周囲より少し高いので、外からは、そこにそんな庭があることすら知るのは難しい。

大正時代の地形図からは南北方向に続く河岸段丘が認識できる。北にたどると鹿苑寺(金閣)の西側を流れる川と氷室道につながる。

古い地図で周囲を見ると、二条天皇陵以外はほとんどが田畑だ。この庭からは、北東には天皇陵と平野神社の森が、東には北野天満宮の森がみえ、遠景には東山連峰が一望できる。そして、大文字山はほぼ真東にある。

戦前まではこの景色を楽しむことができた、どんな人がこの庭から送り火を眺めたのだろう、そんなことが想像できる。やはり京都は奥深い街だ。