人の矜恃は揶揄してよいものではない

これはさすがに書いてはいけないのではないかな、そう思うブログ記事がSNSにあった。以下に。

納税がお好き? | シニア・ナビブログ「パトラッシュが駆ける!」の記事(2016年10月01日)

この記事を書いた人は、自費出版だけれども本を2冊出しているとのことで、自著を写真付きで紹介している。その2冊目の本の表紙画を挿絵画家に依頼したそうだ。この記事は、その挿絵画家への謝礼の支払いに関する顛末が書いてある。

要約すると、出版社経由で支払うと10%を源泉徴収される。だから相手に配慮して、著者からの直接支払いを提案したら「出版社経由で」と断られた。そのことを「納税がお好き?」と評しているのだ。

結論部分を引用すると、

さながら、相手を修道尼と気付かずに、ちょっかいを出した、
慌て者のようなものだ。
世の中には、いろいろな人がいる。
私は、清濁を合わせ飲んでいた。
そのつもりであった。
濁を飲まない人も居る。
私は、本の出版から、意外な「人物」に出会ってしまった。

もし私が校閲者なら、次の指摘をするだろうな。ただし、修正するかどうかは書き手の自由なので、そこまで立ち入るつもりはない。

(1) 「私は、清濁を合わせ飲んでいた。」について、清濁は「併(あわ)せ呑(の)む」ものであって、「合わせ飲む」ものではない。「併呑」はあっても「合飲」はない。
加えて、「清濁併せ呑む」はひとまとまりで使うのが一般的な用例だ(広辞苑、大辞泉、国語大辞典)。

(2) 「清濁併せ呑む」は、基本的に他者が人を評する場合に使うもので、本人が自らを評して言うものではない。(自らこんなことを言うのは、時代劇で、悪代官が賄賂を要求する時くらいだ)。
「清濁併せ呑む」は「心が広く、善でも悪でも分け隔てなく受け入れる。度量の大きいことのたとえ。」(大辞泉)だ。この文章では「私は心が広く度量が大きい」と自らを表現していることになるが、それがこの文の主旨なのか。

(3) この記事自体が、納税への忌避感と「帳簿にのせない余得にあずかる」ことを積極的に肯定するものになっている。それは税を逃れていることを自ら表明していることにもなる。書き手が自らの行いや品性をあえてそう表現しているのなら、それを妨げるものではないが、それでよいのか。

(4) 「(金銭ではなく)絵を描かせて頂ける事がとても有り難く」というは挿絵画家の矜恃であろう。引用部分だけでなく、この記事の論旨が他者の真っ当な矜恃を揶揄している(ように読める)。

そもそも、書き手は、この記事を挿絵画家ご当人に見せることができるのだろうか。見せられないのなら書かない方がよい。
権力や権威ならば揶揄してもよかろうが、個人の矜恃は揶揄してよいものではない、と私は思う。