送り火の山にのぼる

如意ヶ嶽(大文字山) 2016.08.16 04:55今年も、送り火の朝、大文字山にあがった。「大」の字の要に着いたのは5時前だった。京都の町はまだ夜だ。湿気のある空気のなか、眼下の町は水の底に青く沈んでいるように見えた。

今年は、夜が明けきるまで、ここで京都の町を眺めていようと思った。

妻を送ったあの年から6度目の送り火だ。先に逝った人たちへの悲しみや寂しさは少しずつ、本当に少しずつ、思い出に変わってきたように思う。逝った人たちへの思いはなくならないし、忘れることもない。ただ、その悲しみや寂しさと共に生きる術(すべ)が少しずつ身についてきたのではないか、と思う。

夏の終わり

夕方、ヒグラシの「カナカナカナ」という声に気付いた。数日前までは朝日がのぼる頃にアブラゼミやミンミンゼミが一斉に鳴き出し、それが夕方まで響いていたのだが、うるさいくらいの蝉の声が消えて、カナカナの声だけが聞こえていた。夏に名残を惜しむようで、少し悲しげにも感じた。

夜明けの空は少し高く感じる

ここ二日ほどは朝夕の気温が少し下がってきた。4時過ぎには空が白んできていたが、それが5時近くになってきた。空も少し、ほんの少し高くなってきているようにも感じる。不思議なものだ。

そして、散歩の途中の道では力尽きた蝉たちの姿が目につくようになり、まっすぐに伸びていた稲穂は頭を垂れるようになってきている。近くの川の脇、道路との間ではオレンジ色のコスモスが花を開いていた。季節は変わり始めているようだ。

コスモスが咲き始めている

お盆を迎え、16日には五山の送り火だ。今年の夏が終わる。

理性がラッパを吹き鳴らす。

2016/08号 『ダ・ヴィンチ』特集中村則文、伊坂幸太郎との対談を読む。買ってはいない、書店で表紙を見てパラパラと立ち読みをしただけだ。二人はずいぶんと気が合うようだ。ちょっと意外だった。

一月初めの朝日新聞に中村文則さんの投稿が載った。シリーズ「選べない国で」の『「お前は人権の臭いがする」 国と同化、自己肯定の差別 - 不惑を前に僕たちは 寄稿、作家・中村文則』。私が感じていたこの国のいまを的確に表している、そう感じた。そして、その責任の一端は私にもある。抗いきれなかったからだ。

伊坂幸太郎さんの『首折り男のための協奏曲』は七編の短編からなる短編集だ。この中の一編『人間らしく』に戦争に関する記述がある。クワガタを飼う作家が戦争について語る。

「平和がいいね」と書くと、「ああいうひ弱なことを書くのはどうかと思う」「左翼的だな」との批判が殺到する。「そういう平和ボケの、腑抜けたことを言う人間は、国のことを考えていないんだ」とか。以下、クワガタを飼う「作家」の言を引用。

「戦争はいろんな意味で、国にとって最悪」「戦争ほど自国の経済が悪化するイベントはない。コストはかかるし、経済活動はまともに成り立たない。少子化なのに若者たちが死ぬ。」

「右翼だろうが左翼だろうが、愛国者で戦争反対はありじゃないか」

「もっと別の、被害が少なくて巧妙に勝つ方法を探すことを考える。その方がよっぽど国のためになる。(中略)直ぐに荒っぽいことを言う人間は信用できない。戦争に反対するなんて愛国心がないなんて言う人間も同じ。国のことを考えるなら、まずは被害の少ない戦略を選ぶ。」

そして、「ローレンツが引用した『軍旗がひるがえると理性がラッパを吹き鳴らす』というウクライナの諺」に関して言う。

「熱狂こそが攻撃性を生み出す。一番、熱狂を生み出すために簡単なのは敵を作ること、このままじゃやられるという恐怖を煽ること。怒りは一過性だが、恐怖は継続する。恐怖に立ち向かうために熱狂が生まれる。実際の敵自体はなくてもいい。架空の敵を用意して旗を振れば理性がラッパを吹き鳴らす。そういう仕組みだ。」

ここで引用されている”ローレンツ”とは Konrad Lorenz のことで、動物行動学の研究者だ。著書は『攻撃―悪の自然誌』1985/4/30,  コンラート・ローレンツ (著), 日高 敏隆 (翻訳), 久保 和彦 (翻訳)、がある。その主張の核は「人間の攻撃性は本能的なもので後天的なものではない。」だ。

楢の小川と夜明け

8月になって日の出が少しずつ遅くなってきた。4時半を過ぎてようやく空が白み始める。今日(8月2日)は旧暦ならば6月30日、水無月晦日にあたる。かつての夏越の祓は今日だった。(旧暦は明治5年12月2日まで、翌日が新暦明治6年1月1日)。

5時頃の空と比叡山
5時頃の空と比叡山

今朝は4時から自転車で散歩に出た。空気がひんやりしていて心地よい。まずは国際会館駅前を西に向かい、深泥が池を回って上賀茂神社に。夜は明けたが、さすがに人はいない。

上賀茂神社、楢の小川(御手洗川)
上賀茂神社、楢の小川(御手洗川)

風そよぐ楢の小川の夕暮れは
禊ぎぞ夏のしるしなりけり

藤原家隆(百人一首では従二位家隆だったか、平安末期から鎌倉初期に活躍した歌人)の歌碑が、上賀茂神社を流れる御手洗川(楢の小川)の橋のたもとにある。いにしえの人々はここで禊ぎをし、夏越しを感じたのだろう。水は冷たく、タオルを浸して汗をぬぐった。

そのあと鴨川の左岸を南へ、2時間ほど走って6時台には家にもどった。今の時期、それ以降の時間は暑すぎる。それでも汗びっしょりになった。

この日の最高気温は34.6度だったとか、ここ数日はこんな気温が続くようだ。

夏の日の出

毎日、朝の散歩で夜明けの空をみる。今の時期、東の空は4時過ぎから明るくなり始める。晴天の日の夜明け(2016.07.21 05:23)日の出の時刻になると、比叡山の端が輝きはじめる。雲のない空は山の端が白く、オレンジ色がまわりに広がり、それが青に溶けるように晴天につながる。

雲の向こうに放射状の朝日(2016.07.26 05:21)その空は一日として同じものはないように思う。気温、湿度、雲の量や形の違いによって、空の色や陽の光が違って見える。しかも、その空は刻一刻と変化して姿を変える。今みている空は10分後にはまったく違った空になっている。

こんな雲りの日には、雲の向こうから光だけが放射状に広がる。

光り輝く朝焼け(2016.07.29 05:26)この日は薄く雲がただよう空だった。陽の光が雲を照らし、空は黄金色になった。陽が見えはじめると空は白く変わり、瞬く間に夏の空に変わった。

一冊の本が人生をも変える

先ほど、「ル・コルビュジェの建築作品群が世界文化遺産に登録」決定の報があった。日本では東京の国立西洋美術館(1959年・基本設計)がその一つだ。

ル・コルビュジェ(Le Corbusier, 1887~1965)の建築物は直線的な造形が特徴で、アール・ヌーヴォからアール・デコ全盛の20世紀初頭においては相当に前衛的で異端であったと思う。1935年刊行の”La Ville radieuse”(直訳すれば「輝く都市」, 日本では未刊行。戦後に『輝く都市』として刊行されたのは別の著書)は、単一の建物や施設の建築から計画的な都市へと、建築の新たな地平を拓くものだった。目指す都市は「次の世代の世界の人々にとって、楽しく、住みやすい、ユートピアみたいな都市をつくる。建築家は、建物だけではなく、みんなで共存する都市そのものを作ってゆかなければならない」そういう主張だった。

コルビュジェのこの本は、当時、日本で建築を学ぶ人たちに一種の熱狂を持って迎えられたようだ。柳宗理(工業デザイナー、1915~2011)さんもその一人だ。

柳宗理さんは出征する時、コルビュジェの『輝く都市』(1935年版の原書)を背嚢に隠して戦地にまで持っていったのだと言う。もしも見つかったら大変なこと、下手をすると命に関わるかも知れない。もちろん戦地にいればいつ死ぬかわからない。だからこそ、この本とともにありたかったのだと。

柳さんが送られた先はフィリピンで、待っていたのはジャングルのなかを逃げ回る日々。とうとう南方の島で敵に追いつめられた。弾のなかを必死に走って逃げると海岸に出た。敵は直ぐ近くに迫ってきている、逃げ場は海しかない。その状況で、柳さんは背嚢から本をとり出して砂に埋め、海に飛び込んだ。そのあとどこをどう逃げたのか、気がつくと別の海岸に泳ぎ着いていた。そして終戦の翌年、生きて日本に戻ることができた。柳さんは、日本の工業デザイナーの草分けとして戦後の日本の復興と都市を先導した。

この話は、『本をめぐる物語』角川文庫, 2014にある、原田マハ「砂に埋もれたル・コルビュジェ」の後書きで知った。

一冊の本が、ときには人生をも変える。戦前、コルビュジェの「次の世代の世界の人々にとって、楽しく、住みやすい、みんなで共存する都市をつくる」が熱烈な支持をうけた時代に、その隣国では『わが闘争』が別の熱狂を生んでいた。人を動かすのは言葉か思想か、それとも鬱屈なのか、そんなことを思う。

Abbas Kiarostami dies at 76 – BBC News

映画監督アッバス・キアロスタミ(Abbas Kiarostami)さんが亡くなった。
Iran cinema: Abbas Kiarostami, award-winning film director, dies at 76 – BBC News
このBBCニュースがもっとも的確に彼の事績を伝えていると思う。

遺作は “Like Someone in Love”(2012年)で、日本を舞台に日本人の主演者で撮った作品だった。イラン革命(1979年)以降も国にのこり、制約の多いなかでの映画制作を続けてきた人だ。90年代以降、国内では映画をつくること自体が難しくなったようだった。

彼は、小津安二郎を敬愛してやまなかった。”Five (Dedicated to Ozu)”は小津へ捧げたドキュメンタリだ。彼もまた、小津と同じように、家族や親子、男女などなど小さなコミュニティを視野においた「人の気持ち」あるいはコミュニケーションを撮り続けた人なんだろうなと思う。

彼の映画はいくつか見たが、一番気に入っているのは、2005年の “Tickets“(邦題:明日へのチケット)という協同監督による映画だ。協同したのは、Ermanno Olmi(イタリア)、Ken Loach(スコットランド)、そして彼(Abbas Kiarostami、イラン)の三人。彼は、二番目の話(退役軍人の未亡人とおぼしき老女と、兵役の一環でその老女の世話役をさせられている青年の話)を監督した。

この老女が信じがたいほど傲慢で意固地な振る舞いをするのだが、いつの間にか「なぜ、そこまでの振る舞いをするのか」を、見ながら考え始めるてしまう。「子供はいるのか」、「ずっと孤独だったんじゃないか」、「閣下の奥さんとしか呼ばれなかったんじゃないか」、「名前を呼んでもらえないということは、この老女個人としての人生はどんなだったのか」などなど。脚本と演出の妙だと思う。

目的の駅で降りた老女。世話係の青年は列車から降りて来ず、列車はゆっくり走り出してしまい、老女は独りホームで呆然としている。そこでシーンは次の話に移る。

彼の映画は、見えているもの(映像として)から見えていないものを想像させる、人が考え始める、そういう映画だったんじゃないかとも思う。

人工知能(A.I.)に関する新10の原則

アイザック・アシモフ(Isaac Asimov)が『I, Robot(わたしはロボット)』のなかで「ロボット工学の三原則(Isaac Asimov’s three laws of robotics)」を書いたのは1950年だった。コンピュータがPCへ、そしてインターネットは社会インフラになった。それでも20世紀の間、人工知能(artificial intelligence, A.I.)は未だSFの領域の話だったように思う。

2011年頃から人工知能(A.I.)に、脳のはたらき方を模したディープラーニング(Deep Learning)の手法が確立してきたことで研究段階から実用段階に入ってきた。

以下の記事で、MicrosoftのCEOはA.I.に関する10のルールを提案している。
AI experts weigh in on Microsoft CEO’s 10 new rules for artificial intelligence – TechRepublic

そのなかで興味深いのは、人間側に必要なこととして言及されている4項目だ。以下に引用する。

And here’s what humans will need:
1. Empathy, perceiving others’ thoughts and feelings, collaborating and building relationships will be critical in the human-AI world.
2. Education—to create and manage innovations we cannot fathom today, we will need increased investment in education. Developing the knowledge and skills needed to implement new technologies on a large scale is a difficult social problem that takes a long time to resolve. There is a direct connection between innovation, skills, wages, and wealth.
3. Creativity. Machines will continue to enrich and augment our creativity.
4. Judgment and accountability—We may be willing to accept a computer-generated diagnosis or legal decision, but we will still expect a human to be ultimately accountable for the outcomes.

最初の、共感する力(想像力)、他の人の考えや感情を読み取り、理解すること、協力・協働して共同関係を築くこと、それらが人間とA.I.が共存する世界には決定的に重要な意味を持つ、という点は大いに共感する。

さて、A.I.の得意な分野は、音声認識、画像認識、そして文字(文章)認識の三つだろう。これからは、A.I.にどれだけ十分な「経験値」を付与することができるかどうかがカギになると思う。残念ながら現在、この「経験値」を最も多く保有し、それを活用する力があるのはGoogleだと思う。

ジョージ・オーウェル(George Orwell)が監視・管理社会(国家)の恐ろしさを予告した『1984年』を発表したのは1949年だ。「テレスクリーン」ネットワークが人を監視し管理しているのだが、これもA.I.の応用しやすい分野なのだ。

Satya Nadella (Microsoft CEO)  が “Empathy” を真っ先に挙げた点は慧眼だと思う。比較して、総務省 「AIネットワーク化検討会議 報告書2016」はその視点が最初から欠けている。残念だ。

引き継がれるもの

長年、Bree “Natur MAX” というヌメ革の鞄を使ってきた。1987~8年頃に、北山にあったBreeの店で購入したものだ。当時としては、かなり思い切った買い物だったと思う。

できれば一生使えるモノ、丈夫で修理ができるもの。サイズとしてはA4がゆっくり入り、ラップトップPCも入る、しかも背負うことができる(自転車で通勤していたため)。そんな鞄を探して行きついたものだった。

モノに関して、私は流行り廃りに興味はない。衣類、靴、時計、文房具、家具、台所用品などなど、「定番」と言われるものを好む方だ。そうしたものはわずかな期間で劣化しないし、修理ができ、長く使うことができる。事実、使ってきた。こうした日常のモノについての考え方は、ある意味で人生観の一端でもあると思う。

この鞄は手入れもし大事にしてきたつもりだが、30年近く使ってきているので、色はアメ色に変わり、雨のシミもあれば、タイやインドネシアでついた傷もある。

それを、今年、上の息子に譲った。この鞄ならば、彼が現役の間は十分に使ってもらえるものだと思う。妻が使っていたBreeの鞄は、形見わけで姪に渡した。モノと同時に、私たちの考え方、その一片でも伝わればと願う。

青春映画にみせかけて教会権威への痛烈な批判をこめた映画

Brother Sun, Sister Moon, 1972, Franco Zeffirelli

Brother Sun, Sister Moon (1972) は長く再見がかなわなかった映画だ。この映画の公開当時、私は高校生だった。目当ては Donovan の音楽と Judi Bowker だ。聖フランチェスコ(St. Francis(Francesco) of Assisi)は名前も知らなかった。

監督の Franco Zeffirelli(1923年生まれ)はこの作品の前に Romeo and Juliet, 1968年 を撮っていた。ジュリエット役に Olivia Hussey を起用し、それまでの Romeo and Juliet ではあり得なかった「黒髪のジュリエット」でも有名になった。当時は青春映画の巨匠といった扱いだったと思う。ビデオやDVDは廃盤になっており、長く再販されなかった。興行的にはさほど振るわなかったということだろう。

それが、Amazon Prime にあった。見直してみて、青春映画の体をしているが、実際は、痛烈な教会権威への批判と皮肉が込められたものだと思い直した。映画では、町のカトリック教会の司教がひどく肥満した体躯であるとか、手づかみで肉をむさぼり食う場面など、ちらちらと批判めいたものはみえる。が、大筋は青年フランチェスカの苦悩や奇行とも見える行動、荒れ果てた教会の再建を淡々と紡いでゆく。ただ、映像と映し出される山河は本当に美しい。

再建途上の教会を破壊され、仲間が犠牲になった時、教皇に布教の許しを得るためバチカンに向かう。そこでの教皇との会見がいわばクライマックスだ。

教皇(Alec Guinness が演じる)の台詞、
Our Lord be with you,..
In your hands…
and in your feet.
と言って、フランチェスカの前にひざまずき、泥だらけの足に口づけをする。こうして布教の許可を得るのだが、それを見て驚く貴族にその脇にいる教皇の側近が耳打ちする。

Don’t be alarmed, His Holiness knows what he is doing. This is the man who will speak to the poor, and bring them back to us.

この台詞とシークエンスに監督の意図が集約されているように思う。そうでなければ、脚本にしたりはしないはずだ。

大事無いから心配するな(くらいの意味か)。我らの教皇は何をしているのか、十分に解っておいでだ。
まさにこれがあのお人(教皇)なのだよ、教皇は貧しい者たちに向けて話している(それが彼らの口をとおして広げられることを承知の上で、それがwillの意味するものだ)、そして(今は教会に不満や反感を持っている)貧者たちを我らのもと(教会)に返らせることになることを(承知の上での、いわば、見せかけの演技なのだ)。

この教皇の側近の言葉のあと、謁見の間を去るフランチェスカ一行を教皇側の視点(一行は後ろ姿)から捉える。そしてカメラが反転すると、教皇は冠を載せ直し豪華なガウンをまとい、尊大に、かつゆっくりと教皇の座に戻る。この時の Alec Guinness の表情の変わり方が素晴らしい。
そして映画は、イエスのように両手を広げ、ゆっくりとアッシジの野に歩をすすめるフラチェスカの後ろ姿にドノヴァンの歌がかぶさって終わる。

監督の Franco Zeffirelli が宗教、とりわけキリスト教に批判的なのかというと、そうでもないように思う。『ナザレのイエス』(Jesus of Nazareth)は 1977年制作のテレビシリーズで全4編。このBlue-ray版を持っている(日本版ではない故か、中古店で投げ売り価格だった)。こちらは至極真っ当にイエスの誕生から死までを描くもので、教会への批判めいた台詞やシーンはない。ただ、キャストは豪華だ。再編集して日本でも公開されたらしいのだが、そっちは見ていない。

梅雨の象徴

雨が続いている。除湿器をまわしていないと、湿度は80%を越えてしまう。「湿度が60%を越えると本にカビが生える」と言って、妻は除湿には気を遣っていた。

東南アジアの国々には仕事で長く通った。タイ、マレーシア、インドネシア、ベトナム、カンボジアなど大半の国が赤道近くの熱帯に位置するが、最高気温が35度を超えるような日はほとんどなかった。とはいえ、一年をとおして夏しかないのですが。

雨上がりのアジサイとヤツデ

散歩の途中、近所のお宅の垣根に色の薄いアジサイを見つけた。その下に雨に濡れたヤツデがあって、ヤツデの表にアジサイが映えていた。