ドキュメンタリー映画『何を怖れる〜フェミニズムを生きた女たち』

昔の勤め先の近くに、古い民家を改造した「ウィメンズ・ブックストア」という小さな本屋があった。職場にもっとも近いその書店に、私は雑誌の取寄せをたのんでいた。たびたび店をのぞくので店主や店員さんとも顔見知りになり、昼休みにお茶をごちそうになったりするようになった。

当時(1980年代)、その書店はフェミニズムやジェンダー問題に取り組む人たちの京都におけるセンターのような場になっていた。そこには近くの女子大に勤務していた上野千鶴子さんもいらしていて、挨拶くらいはしたと思うが、話をした憶えはない。妙な例えだが、抜き身の刀を手に歩いているような、上野さんはそんな凄味を感じた。

「ウィメンズ・ブックストア」はその後に活動の拠点を大阪に移した。私が勤め先を辞めたこともあって、書店とのつきあいも終わった。

以下のサイトで、松井久子監督の映画に関するインタビュー記事を見て、映画の予告編をみたときに、中西さんをはじめ見知ったお顔が複数あった。
フェミニズムは「ブス女のヒステリー」ではない―男も女も誤解している、フェミ運動の本当の姿 – ウートピ
フェミニズムは男性をも救う ドキュメンタリー監督が指摘する「男と女の対立構造の罠」 – ウートピ
この映画のサイトは以下。
ドキュメンタリー映画 何を怖れる フェミニズムを生きた女たち

松井久子監督:「個人的なことは政治的である」
ドキュメンタリー映画『何を怖れる〜フェミニズムを生きた女たち』はこんな言葉から始まる。
東京では1月から2月にかけてミニシアターで単館上映された『何を怖れる』は、ウーマン・リブの時代を生きた12人の女性をインタビューしたドキュメンタリー映画だ。

見てみたいと思ったが、京都での上映予定は、いまのところないようだ。

フェミニズムに関して、私は松井さんの感覚に近い。主張はわかるが方法や(彼女らの)口調に違和感をもっていた。それは、男一般が女の敵じゃない、「男社会」は男も生きにくい、男らしさを求めるのは(男より)女なんじゃないか、「男社会」を構成する男たちを産み育てたのは母という女たちだ、などなど。ただ、彼女たちの運動や戦いがあったからこそ、男女間に差異をもうけないことが「社会的に正しいこと(Social Correctness)」として認知されてきた、そのことは確かだと思う。