時間旅行を夢見る

Time Machine

昔からタイムトラベル(時間旅行)ものの小説や映画が好きだ。この正月は『11/22/63』, 2011, スティーブン・キング(Stephen King)を読もうと図書館から借りてきた。キングには珍しいタイムトラベルもので、「11/22/63」は1963年11月22日、ケネディー大統領がダラスで狙撃され死亡した、あの事件の日だ。

行きつけのダイナーの食料庫の奥に1958年9月9日とつながった「タイムホール」が存在する。ダイナーの主との約束を果たすため主人公はその穴をくぐる。約束とはJFKの暗殺を阻止すること。それにしても、上下二段の小さめの活字なのに上下巻合わせて千ページを超える大著だ。

小学校生時代にジュール・ベルヌ(Jules Gabriel Verne, 1828-1905)の『海底二万里』や『十五少年漂流記』(『二年間の休暇』), 『八十日間世界一周』に夢中になった。押川春浪の『海底軍艦』とそのシリーズの何冊か。まだ「冒険小説」「空想科学小説」といった時代だった。
1960年代には、ロケットによる月への到達、原子力潜水艦、成層圏を飛行する旅客機など、現実が「空想家科学小説」に迫り、追い越しそうな時代だった。

その頃に出会ったのが H・G・ウェルズ(Herbert George Wells, 1866-1946)の『タイム・マシン』(The Time Machine)だ。時間と空間を自由に飛び越える装置、それに追いつきそうな現実はどこにもなかった(今でも)。
ロバート・A・ハインライン(Robert Anson Heinlein、1907-1988)の『夏への扉』(The Door into Summer, 1957年出版)は早川文庫版(1963年)を読んだ。『時の門』(The Time Gate)も記憶にある。NHKで『タイムトンネル』(1967年)が放送されて、映像としてのタイムトラベルを目に出来るようになった。

1960年代からは日本でも創元社文庫や早川文庫で「SF」が使われ始めた。そして日本人の作家、小松左京、星新一、光瀬龍、矢野徹、広瀬正、半村良、眉村卓、豊田有恒などなど、手当たり次第に読んでいた感じがする。

タイムトラベルが可能になったとしたらどうしたいか、学生時代には、そんなことをよく友達と議論していた覚えがある。いま、この年齢になってみると、人生は一度きりだから良いのだと思うようになった。やり直せないからこそ人は決断するのだ、と思う。どこかにもどってリセットしやり直しができるなら、何度でも安易に試してみそうだ。そうしてやり直してみたとしても、結局、結果はそう大きく変わらないのだろう、そう思う。