再興九谷と明治・大正期の九谷

現役を退くと東京へ行く機会がめっきり減った。別に懐かしんでいる訳ではない。ただ、東京の美術館などに「ついでに」行く機会がなくなったのが少し残念ではある。以前は月に数度は東京に行く用があって、その際には、朝一番の新幹線で向かうと9時前には東京駅に着く。午後からの会議なら午前中に美術館や古書店、文具店などをめぐる時間があった。

数日前に、どうしても出席しなければならない会合が東京であった。会合自体は午後からなので、早めに京都を出て、東京駅のステーション・ギャラリーに寄った。開かれていたのは「九谷焼の系譜と展開」展だ。

以下のサイト(Internet Museum)では、この展覧会が、写真だけでなく動画でも紹介されている。
交流するやきもの 九谷焼の系譜と展開(東京ステーションギャラリー)

観たかったのは再興九谷以降のもので、とくに幕末から明治・大正までのものだ。

幕末のものでは、粟生屋源右衛門(あおやげんえもん)の手によるものはそれまでの九谷とは色合いも形状もまったく違う。その繊細と精緻には驚くばかりだ。色彩は中間色や淡い色合いで、ぎらぎらした原色はない。しかも彩色そのものも淡く、下地の白が透けるような感じなのだ。葡萄棚が透かし彫りされた香炉は葉の一枚一枚まで実に繊細な形で、同じものは一つとしてない。職人の手業のすべてが注ぎ込まれている。海外でも評判になったはずだ。

これが、明治から大正にかけての輸出用陶磁器になると、それまでの九谷からするとかなり色合いの違うものに変わっている。大型の壺や皿、置物が主になり、基本は赤、そこに金や銀で模様や文字が入っているものが多い。絵付けはきわめて精緻で、人が一つ一つ書いたんだよなぁ、とただ感嘆するばかりのものがある。時代と陶工たちの技巧や精進がこうした作品群を生み出してみたのだなと、改めて感じいった。

そこから会議場所までの距離と時間を逆算して、雨が降ってはいたが、皇居の堀端を徒歩で半蔵門まで向かった。歩いてみるとけっこうな上りであることが体感できた。そこから四谷方面に、会議には十分に間に合った。