初夏をむかえる頃、賀茂川の河川敷でよく見かける背の低い、こんもりした花木。黄色い花をたくさんつけていて、花の形が梅に似ている。金糸梅(キンシバイ)という名であること、中国原産であること、江戸時代に日本に入ってきた(らしい)ことなどを園芸店の人に教えてもらった。
出雲路橋西詰の金糸梅(キンシバイ)、南東方向をみる。遠くには大文字山。
この橋はなぜ出雲路橋(いずもじばし、旧かなはイヅモ)なのか、出雲の国は京都の西なのに、などと不思議だった。『京都歴史アトラス』1994年9月, 足利健亮(編)などでみると、古代氏族の出雲氏がこのあたりに住んでいて、鎮守社の出雲井於神社があったことが地名の由来だとか。
出雲路橋の西詰は鞍馬口、御土居の切れ目。鞍馬街道への出入り口だった。出雲路橋はこの鞍馬口からみると少し南にズレている。鞍馬口を出て賀茂川を渡る橋は、明治の中頃になって架けられたのだそうだ。それまでは賀茂川のなかを渡っていたのだと。
京都市の近代的な地形図は、陸軍参謀本部が明治22年(1889)に測量し、同25年に刊行した「仮製地形図(二万分の一)」が最初のものだ。その地図で見ると鞍馬口に橋はないが、賀茂川のなかを渡る道は描いてある。
橋の欄干にある川の名前は「鴨川」だ。私たちは、出町の高野川との合流点以北を「賀茂川」、それ以南は「鴨川」と呼称しているのだが、河川法上の正式名称は「鴨川」なんだそうな。「そんなもん、たかだか明治以降のこと。東の人らが勝手につけはった名ですがな。ここは賀茂川」と、京都の私たちは思っている。