大和魂のモダンサッカー

デットマール・クラマーさんの訃報に接して。

デットマール・クラマー(Dettmar Cramer, 1925年4月4日 – 2015年9月17日)さんの名前は懐かしくなじみ深いものだ。
メキシコシティ・オリンピック(1968年)のサッカー競技で、日本はアジア勢初の銅メダルを獲得した。それに触発されてサッカーを始めたものは少なくないと思う。私もその一人だ。
中学から三十代半ばまでサッカーをしていた。今でも地元のチームを応援し、代表の試合や海外のリーグはよく見る(普段、テレビはほとんど見ないのだが)。

『大和魂のモダンサッカー クラマーとともに戦った日本代表の物語 (サッカー批評叢書)』, 2008年6月, 加部 究 著 は、その当時の選手、コーチ、サッカー協会の人々の悪戦苦闘のドキュメントだ。出版直後に購入して読んだ。
当時の日記に「当時の選手達も何名かは世を去った。クラマーさん、岡野俊一郎さんらが存命のうちにこの本が上辞されたのは、記録としても意義深い。」と記している。

1975年、クラマーさんはバイエルン・ミュンヘンの監督としてUEFAチャンピオンズカップで優勝した。その際のインタビューで、人生最高の瞬間ではないかとの問いに、「最高の瞬間は日本がメキシコ五輪で銅メダルを獲得したときだ。私は、あれほど死力を尽くして戦った選手たちを見たことがない」と答えた(上記書籍より)。

クラマーさん、ありがとうございます。日本の近代サッカーはあなたを祖として今に至るのだと思います。