目にはたくさんのウロコがつまっている

「目から鱗(ウロコ)が落ちる」はよく使われる慣用句だ。「大辞泉」には「何かがきっかけになって、急に物事の実態などがよく見え、理解できるようになるたとえ。」とある。元は『新約聖書』の「使徒行伝」第9章にある、”The scales fall from one’s eyes.”からだと。(scaleが複数なのは両眼からの意味だろう)。

「私たちの目にはたくさんのウロコがつまっている」というのは、『リセット』北村薫, 2001年1月、の第一部に出てくる。

時代は日本が戦争に向かう頃、女学校にかよう主人公が、家庭科(戦時中だったら「家政科」か)の授業で、洗濯板の使い方を習う。「ごしごしと汚れを擦るのではなく、石けんを泡立てるためのもの」という授業について、主人公は「目から鱗が落ちるおもいがした」という。それに対し一人の級友が、「きっとそれは、私たちの目にはたくさんの鱗がつまっているということ。今日の授業はそれを教えてくださったのよ」という。その言葉に主人公はいたく感動し、級友の慧眼と聡明さに畏敬の念を抱く。(この級友は、その後に空襲で命をうばわれる)。

この『リセット』は輪廻転生の物語だ。少女が心を寄せた少年は、空襲で命をうばわれる。戦後を生きた少女は、戦争10年を経て、少年の生まれ変わりの子供に出会う。しかし、巻き込まれた列車事故でその少年を助け、自らは生をおえる。その後、成人した少年は、再び、この少女の生まれ変わりの女性に出会う。長い物語の第三部は、父親が子供たちに自分たち夫婦の前世からの縁と不思議な話を遺すかたちですすむ。父親はどうしてもそのことを子供たちに伝えなければならない。余命が限られているからだ。そして「我々は死んだりしない」という言葉で話はおわる。

読み手によっては長く退屈な物語に思えるかも知れない。が、伴侶や恋人をなくしたものにとって、「輪廻」「転生」はあるかも知れない、きっとある、そう信じることが救いでもある。

生あるものは必ず死ぬ。「科学的に証明されていない」転生などは存在しない、というのは、「現時点では」との注釈が要る。それまでの科学的常識は新たな発見によってたびたび覆されてきた、それもまた科学的な事実だ。「私たちの目にはたくさんのウロコがつまっている。それに気付いていないだけ」が真理であるように思う。