青春映画にみせかけて教会権威への痛烈な批判をこめた映画

Brother Sun, Sister Moon, 1972, Franco Zeffirelli

Brother Sun, Sister Moon (1972) は長く再見がかなわなかった映画だ。この映画の公開当時、私は高校生だった。目当ては Donovan の音楽と Judi Bowker だ。聖フランチェスコ(St. Francis(Francesco) of Assisi)は名前も知らなかった。

監督の Franco Zeffirelli(1923年生まれ)はこの作品の前に Romeo and Juliet, 1968年 を撮っていた。ジュリエット役に Olivia Hussey を起用し、それまでの Romeo and Juliet ではあり得なかった「黒髪のジュリエット」でも有名になった。当時は青春映画の巨匠といった扱いだったと思う。ビデオやDVDは廃盤になっており、長く再販されなかった。興行的にはさほど振るわなかったということだろう。

それが、Amazon Prime にあった。見直してみて、青春映画の体をしているが、実際は、痛烈な教会権威への批判と皮肉が込められたものだと思い直した。映画では、町のカトリック教会の司教がひどく肥満した体躯であるとか、手づかみで肉をむさぼり食う場面など、ちらちらと批判めいたものはみえる。が、大筋は青年フランチェスカの苦悩や奇行とも見える行動、荒れ果てた教会の再建を淡々と紡いでゆく。ただ、映像と映し出される山河は本当に美しい。

再建途上の教会を破壊され、仲間が犠牲になった時、教皇に布教の許しを得るためバチカンに向かう。そこでの教皇との会見がいわばクライマックスだ。

教皇(Alec Guinness が演じる)の台詞、
Our Lord be with you,..
In your hands…
and in your feet.
と言って、フランチェスカの前にひざまずき、泥だらけの足に口づけをする。こうして布教の許可を得るのだが、それを見て驚く貴族にその脇にいる教皇の側近が耳打ちする。

Don’t be alarmed, His Holiness knows what he is doing. This is the man who will speak to the poor, and bring them back to us.

この台詞とシークエンスに監督の意図が集約されているように思う。そうでなければ、脚本にしたりはしないはずだ。

大事無いから心配するな(くらいの意味か)。我らの教皇は何をしているのか、十分に解っておいでだ。
まさにこれがあのお人(教皇)なのだよ、教皇は貧しい者たちに向けて話している(それが彼らの口をとおして広げられることを承知の上で、それがwillの意味するものだ)、そして(今は教会に不満や反感を持っている)貧者たちを我らのもと(教会)に返らせることになることを(承知の上での、いわば、見せかけの演技なのだ)。

この教皇の側近の言葉のあと、謁見の間を去るフランチェスカ一行を教皇側の視点(一行は後ろ姿)から捉える。そしてカメラが反転すると、教皇は冠を載せ直し豪華なガウンをまとい、尊大に、かつゆっくりと教皇の座に戻る。この時の Alec Guinness の表情の変わり方が素晴らしい。
そして映画は、イエスのように両手を広げ、ゆっくりとアッシジの野に歩をすすめるフラチェスカの後ろ姿にドノヴァンの歌がかぶさって終わる。

監督の Franco Zeffirelli が宗教、とりわけキリスト教に批判的なのかというと、そうでもないように思う。『ナザレのイエス』(Jesus of Nazareth)は 1977年制作のテレビシリーズで全4編。このBlue-ray版を持っている(日本版ではない故か、中古店で投げ売り価格だった)。こちらは至極真っ当にイエスの誕生から死までを描くもので、教会への批判めいた台詞やシーンはない。ただ、キャストは豪華だ。再編集して日本でも公開されたらしいのだが、そっちは見ていない。