辞書を較べる

テレビドラマの批評文に「そのあざとい雰囲気に警戒感を持ち」という表現があった。これを書いた人は「あざとい」をどういう意味で使ったのか、が気になった。最後まで読んで行くと、どうも「あざとい」を「態(わざ)とらしい」「いかにも不自然で計算ずくのような」という意味で使っているようだ。

言葉の意味や使われ方は、時とともに、あるいは世代によっても違ったものになってゆく。この「あざとい」は、古くは「思慮が浅い」「小利口である」「浅はかな」といった意味あいで使われ、近年は「やり方があくどい」「ずうずうしく抜け目がない」の意味の方が強いようだ。

気になる言葉をみると、すぐに辞書で調べる、それも複数で比較する。「あざとい」をいくつかの辞書で意味を調べてると、辞書によって扱い方が違っている。同時に、辞書の性格の違いが見えてきた。

まず、『用字用語辞典』『現代用語辞典』『記者ハンドブック』のような、実用系の辞書には採録されていない。”現代用語”という括りでは一般的でない言葉ということだ。
『新明解国語辞典』では、「やり方が露骨で・抜け目がなく、あさましい感じがする様子」とある。なかなかに丁寧な説明だ。
『広辞苑』では、
(1)思慮が浅い。小利口である。浄瑠璃、神霊矢口渡「愚人原が―・き方便(てだて)に討たれさせ給ひしは」
 (2)押しが強くて、やり方が露骨で抜け目がない。「―・い商法」
『大辞泉』では、
(1)やり方があくどい。ずうずうしく抜け目がない。「―・い商法」
 (2)小利口である。思慮が浅い。あさはかだ。「考え方が―・い」
 「―・き方便(てだて)に討たれさせ給ひしは」〈浄・矢口渡〉

両者の違いは、用例に基づき、広辞苑は古い使い方から、大辞泉は新しい使い方から、という編集方針の差異で個性でもある。なお、「大辞林」(三省堂)の見出しに「あざとい」はなかった。

日常、会話や手紙の中でどんな言葉を使っているのかは、個人の「ひととなり」をとてもよく現してしまう、と思う。様々な辞書を較べて使うのは、言葉の意味を知り、誤った使い方で齟齬をきたさないようにしよう、そういう姿勢がその人をつくってゆくのだから。言葉にはつねに敏感で注意深くありたい。