アンジェイ・ワイダとポーランド

ポーランドの映画監督アンジェイ・ワイダ(Andrzej Wajda)さんが亡くなった。90歳。ワイダさんはポーランドという国とそこに暮らす人々が負わされた苦難を描き続けてきた。

観た映画はさほど多くはない。
『灰とダイヤモンド』(原題:Popiół i diament、英題:Ashes and Diamonds),1958、『Korczak』(邦題:コルチャック先生), 1990、
最近では『Katyn』(邦題:カティンの森), 2007、くらいだろうか。

観ないよりは観た方がよい、ただ、観た後に重いものが残る。それは、人という種のもつ残忍さや野蛮、所行の酷悪さだ。そして恐怖と猜疑が支配する社会を生きることがどういうものなのか、映像と言葉で突きつけてくる。

第二次世界大戦の終結後、1989年に民主化されるまで、ポーランドは共産党政権(ソビエト連邦政府の支配の元で)の独裁だった。それ以前はナチスドイツに蹂躙され、東側はソビエト連邦に分割占領されてしまう。ポーランドの近現代史は苦難と戦争の連続だ。

最近、見た映画や読んだ本が、なぜかポーランドにかかわるものばかりだ。とくに意図したわけではないのだけれど。

『また、桜の国で』須賀しのぶ, 2016年 は、シベリアからのポーランド人孤児たちの救出(1920年)から、成長した孤児たちが結成した「極東青年会」の活動と、ナチス・ソビエト連邦との戦いを経てワルシャワ蜂起(1944年8月)に至るまでを背景にした物語だ。500ページ超の長い物語だが、一気に読んでしまった。

映画では、『あの日 あの時 愛の記憶(邦題)』、原題は『Die Verlorene Zeit(The Lost Time)』(英題:Remembrance), 2011, Anna Justice。

この映画は1976年のニューヨークから始まる。大学教授の夫と娘と暮らす女性、街の洗濯屋のテレビからきこえてきた声、第二次大戦時のポーランドで収容所から一緒に脱走し生き別れになったかつての恋人の声。彼を探すべきか、忘れるべきか、彼女の過去との対峙が始まる。

この映画で、ナチスの収容所から一緒に脱走したポーランド人政治犯の青年は写真のネガをポーランド亡命政府に届ける任務があった。収容所で何が行われていたのか、命がけで持ち出された写真が後の歴史に大きな役割を果たす。

この映画に触発されて読んだのが以下の二冊。

『アウシュヴィッツの囚人写真家』河出書房新社, 2016/2, ルーカ・クリッパ, マウリツィオ・オンニス

ポーランド人政治犯のヴィルヘルム・ブラッセ(写真撮影技師)がアウシュビッツ強制収容所でどのように生き延びたのかを、ドキュメンタリーと本人へのインタビューをもとに、ドキュメンタリー小説として再構成したもの。ブラッセは、ドイツ軍の撤退時に焼却されようとした写真とネガを隠し守ることによって収容所で何が行われていたかを後世に残した人。

『イメージ、それでもなお アウシュヴィッツからもぎ取られた四枚の写真』 平凡社, 2006/8,ジョルジュ・ディディ=ユベルマン

アウシュビッツから命がけで持ち出され、英国、ロンドンにあったポーランド亡命政府に届けられた写真がその後どのようにして広報戦略の中で使われ、世界に広がっていったのかを考察したもの。

以下、参考までに。

Polish film director Andrzej Wajda dies – BBC News, 10 October 2016

Filmmaker Andrzej Wajda Dies At 90, Celebrated Resistance To Authoritarianism : The Two-Way : NPR, October 11, 2016

アンジェイ・ワイダ監督死去 「灰とダイヤモンド」:朝日新聞デジタル ,2016年10月10日