Abbas Kiarostami dies at 76 – BBC News

映画監督アッバス・キアロスタミ(Abbas Kiarostami)さんが亡くなった。
Iran cinema: Abbas Kiarostami, award-winning film director, dies at 76 – BBC News
このBBCニュースがもっとも的確に彼の事績を伝えていると思う。

遺作は “Like Someone in Love”(2012年)で、日本を舞台に日本人の主演者で撮った作品だった。イラン革命(1979年)以降も国にのこり、制約の多いなかでの映画制作を続けてきた人だ。90年代以降、国内では映画をつくること自体が難しくなったようだった。

彼は、小津安二郎を敬愛してやまなかった。”Five (Dedicated to Ozu)”は小津へ捧げたドキュメンタリだ。彼もまた、小津と同じように、家族や親子、男女などなど小さなコミュニティを視野においた「人の気持ち」あるいはコミュニケーションを撮り続けた人なんだろうなと思う。

彼の映画はいくつか見たが、一番気に入っているのは、2005年の “Tickets“(邦題:明日へのチケット)という協同監督による映画だ。協同したのは、Ermanno Olmi(イタリア)、Ken Loach(スコットランド)、そして彼(Abbas Kiarostami、イラン)の三人。彼は、二番目の話(退役軍人の未亡人とおぼしき老女と、兵役の一環でその老女の世話役をさせられている青年の話)を監督した。

この老女が信じがたいほど傲慢で意固地な振る舞いをするのだが、いつの間にか「なぜ、そこまでの振る舞いをするのか」を、見ながら考え始めるてしまう。「子供はいるのか」、「ずっと孤独だったんじゃないか」、「閣下の奥さんとしか呼ばれなかったんじゃないか」、「名前を呼んでもらえないということは、この老女個人としての人生はどんなだったのか」などなど。脚本と演出の妙だと思う。

目的の駅で降りた老女。世話係の青年は列車から降りて来ず、列車はゆっくり走り出してしまい、老女は独りホームで呆然としている。そこでシーンは次の話に移る。

彼の映画は、見えているもの(映像として)から見えていないものを想像させる、人が考え始める、そういう映画だったんじゃないかとも思う。