Adobe CS6 で十分

メインのPC(Windows8.1 Pro 64bit)で、Adobe Creative Suite 6 Design&Web Premium(CS6)を使っている。Macromedia の時代から DreamweaverとFireworks を使ってきた。MacromediaがAdobeに買収されてしまったので、仕方なく、その都度アップデイトして使ってきた。今のCS6はCS5.5からアップデイトしたものだ。

Adobe Creative Suite 6 Design&Web Premium(英語版)の主な構成製品は以下。

Adobe Acrobat X Pro
Adobe Photoshop CS6 Extended(32bit、64bitの二種)
Adobe InDesign CS6
Adobe Illustrator CS6(32bit、64bitの二種)
Adobe Dreamweaver CS6
Adobe Fireworks CS6
Adobe Flash Professional CS6

英語版を使っているのは、WindowsはXPから英語版を使ってきたこともあるし、日本語版の漢字とカタカナの混在したメニューは意味が把握しにくく使いにくいから。それに、日本語の入出力にも何ら問題がないので。

Macromedia の製品には、今はなくなってしまったが、けっこう良くできたソフトウェア群があった。
Macromedia FreeHand は、Adobe Illustrator に競合する製品で、当時は複数ページに対応していたので(Illustratorは単数ページ)、DTPソフトウェアに近い感じがした。ColdFusion とか Contribute とかも。
Macromedia Studio のように複数のソフトウェアを組み合わせた Suite を製品化したのも Macromedia だった。

CS6の発表・発売とほぼ同時に Adobe は Creative Cloud も開始。中身はCS6と同じで、月3千円だったかでアップデイトできる、どっちにします?という話だった。今後もずっとウェブ関係の仕事を続けるならまだしも、近い将来に引退を考えていたので、迷わずCS6を選択した。月々のプランは魅力的ではあるが、結局は、ずっと利用料を払い続けなければならないということだ。それに、CS6で自分の必要とする機能は十分に満たしていた。だから、Creative Cloud は今後も使わないだろうな、と思う。

Adobe Application Manager が動作しない

Acrobat X Pro は何とか安定してくれたが、今度はメインのPCで使っている Adobe CS6の Adobe Application Manager が動作しない。正確には、AdobeUpdateService から Adobe Update Manager が正常に起動しない、という不具合だ。以下のAdobeサイトをみても、該当する症状がない。
Adobe Update Manager 使用時に発生する問題について

しょうがないので Adobe Update Manager を直接起動させてみると、起動はしたが Adobeのサーバーに接続出来ない、Adobe Update Manager のバージョンアップ自体ができない。どうも妙だ。Adobe Update Manager 自体を手動でバージョンアップしようかと Adobe のサイトを探したが、Adobe Update Manager 自体のダウンロードはない。Adobe Application Manager 自体をアップデイトする以外に方法はない。
どうせならと 旧版のAdobe Application Manager を Revo Uninstaller を使って余計な残骸やレジストリの残渣も含めアンインストールした。

Application Manager は Creative Cloud(Manager)に替わった

そして、Adobe Application Manager の最新版(9.0)をインストール。そしたら、Adobe Creative Cloud(の Manager)になってしまった。

CS6に含まれるアップデイトはどれかのソフトウェアを起動して、[Help]から[Updates..]をクリックすれば Adobe Application Manager が起動する。これが Adobe Creative Cloud Managerが起動し、Adobe IDでログインしないと先にすすまない。それから Adobe Update Manager が裏で起動してアップデイトの有無を確認する。実際、けっこうな量のアップデイトが滞っていたので、かなりの間、動作不良のままであったことが推測される。

何とかこれでCS6のアップデイトは正常化したが、Adobe社はすべてを Creative Cloud に統合したことを再確認。

女子W杯、審判の技量の差

今回の女子ワールドカップの試合を見ていて、スピード、キック力、戦術やサッカースタイルの多様性など、すべてが4年前の同大会よりも格段に向上していることを感じる。世界ランキングでは下位の国々でも、南米やアフリカの国々のサッカーの質の向上は目覚ましい。現在のランキング上位の国々との差は確実に縮まっている。

その一方で、今回の大会を見ていて気になったのは、選手の力量の向上に比べて、審判のレベルアップが追いついていない様子が見えたことだ。審判の位置取りのまずさで選手と交錯したり進路を邪魔したりする場面、判定のムラ(プッシング、ホールディング)、悪質なファールへの対応、シミュレーションを見極める目など。

日本対イングランドでは、日本ゴール前での大儀見の反則によるPKの判定があった。その後の映像でみると、大儀見選手は手で押したり掴んでもいない、足も触れていない。イングランド選手のシミュレーション(反則を偽装する行為)だが、その時の審判の位置からは手前の選手の影できちんと見えていなかったと思う。

先にイングランドゴール前でPKの判定をしているので、その負い目というか、このまま日本がPKの一点を守って勝つようなことがあれば、もしシミュレーションと判定したら(当然イエローカードの対象になるので)、英国連邦の国でもあるニュージーランドの主審は厳しい非難を受ける可能性もある。そんな迷いが、大声を出して派手に倒れたイングランド選手に惑わされることにつながったのかも知れない。

WCのような国際試合の場合、判定や勝敗をめぐっては過去に何度も国家間の紛争や国内の騒乱にまで発展した歴史がある。だから、審判は出来るだけ利害関係の無い第三国から選出されるのが通例だ。今回の場合、南米もしくはアフリカ圏の審判が適切だと思うが、準決勝に見合う経験と技術をもった審判がいなかったのかも知れない。
ただ、FIFAでは、国際試合の審判もつねに評価される。上記の判定や位置取り、試合中の判定のムラなども判定され、研修会などをとおして技量の向上に活かされるはずだ。審判員の技術と経験もこうして蓄積される。

謎の ”ジョアン・ウォルギャン” さん

ある人のウェブサイトのトップページに「ジョアン・ウォルギャン」の言葉として箴言らしきものが紹介してあった。この「ジョアン・ウォルギャン」という名前について、私は心当たりがなかったので、単純にどんな人だろうという疑問から調べてみた。

この「ジョアン・ウォルギャン」について検索してみると、意外なことに相当な数のサイトやブログに名言を残した人として引用されているのが判った。だが、この人が誰でどんな作品あるいは事績をのこした人なのか、説明をしているところがないのだ。引用したり紹介している人が「ジョアン・ウォルギャン」って誰なのかを知らないという(いや、私が知らないだけかも知れない)、じつに不可思議に思った。

「カタカナ」では調べられないので、アルファベットで検索してみた。それでようやく、”Johann Wolfgang von Goethe” を英語読みにした誤読ではないか、それをカタカナで表記したのではないかと思いあたった。私たちに馴染みのあるドイツの作家ゲーテのことだ。ドイツ語読みでは、ヨハン・ヴォル(フ) ガン(グ)・フォン・グゥタァ、とドイツ人の知人は発音していたので、ゲーテも現地の読み方・発音とは微妙に異なる。

外国の人の名前をカタカナで表記するのは、一応、現地語読みが原則と言うことになっている(と思う)。その点では「ゲーテ」も「グゥタァ」の聞き間違いなのではないかと思うが、当時、日本に紹介した人に訊いてみなければ判らない。少なくとも「ジョアン・ウォルギャン」と紹介されなかったことだけは確かだ。

さて、件のある人のサイト、当人に「ジョアン・ウォルギャン」さんて誰ですかとメールで訊いてみた。返事は「誰か知らないけど、良い言葉だったので紹介した」のだそうだ。「出典は」などと尋ねても無理なので、それ以上は訊かなかった。

このサイトで紹介されていた言葉、どの作品からの引用なのだろうか、もしくは手紙かと、英語やドイツ語のサイトを探してみたが、この言葉の出典や典拠は判らなかった。英語版のWikipediaには「広範囲に流布しているが「出典不明の言葉」と記載されていた。

ジーンズとTシャツのピアニスト

もじゃもじゃの髪の毛にいつもと同じジーンズにTシャツ姿。このピアニストはイタリア人らしい陽気な笑顔で、踊るような駆け足で登場した。6月23日、会場は京都コンサートホール・ムラタ、席数は五百ほど。Giovanni Allevi, Arena Di Verona, 201011 CD+DVD

彼は、正確にいえば、作曲家で指揮者で、そしてピアニストだ。自作のピアノ曲はもちろん自分で演奏する。アルバムはベスト盤も含めると十枚を超える。オーケストラとの共演や指揮も多い。

この日、短く曲名を紹介したあと、一曲一曲をとても丁寧に演奏してるように感じた。日本にちなむ曲、”Yuzen”(京都西陣の友禅ではなく、金沢でみた加賀友禅に触発されて書いた曲だそうだ)、”Japan”や”Tokyo Station”などはひときわ拍手が大きかった。”Go With the Flow”、”Giochi D’Acqua”、”Come Si Veramente”なども良かった。

”彼のコンサートが初めてならまるで即興のようにきこえるかも知れないが、彼は作曲家だ。すべての曲に正確な譜面が存在している。ただし、演奏するとき、ピアノの前に譜面はおかないし、そういう姿は知らない。”と、CDには説明があった。

”Allevi & All Stars Orchestra, Arena Di Verona”, 2010.11, Giovanni Allevi はピアニストと指揮者、作曲家のすべての面を知ることができる希有なライブ・アルバムだ。しかもCDにライブのDVDがついていて、Amazonなどで千円と少しで購入できる。ただ残念ながら、このセットのアルバムはイタリア版かユーロ版しかない。

Giovanni Allevi | il sito ufficiale (公式サイト、多言語対応で、日本語表示が選択できる)

Adobe Acrobat X(10) Pro の動作不良が互換モードで解決

Windows7 Pro (64bit) で使っている Adobe Acrobat X Proの動作が1年ほど前から安定しなかった。pdfファイルの作成では問題はない。が、pdfファイル・リーダーとしては、1Mbに満たないファイルでも次ページへスクロールするとフリーズする。ここ数ヶ月は8割方フリーズする状態になった。

再インストールも2度ほどしてみたが、正常に動作したのは直後だけ。そのためフリー版のAcrobat Readerでしのいできたが、動作不良の原因を何とか突きとめて、解決策をはっきりさせたい。

Adobe のフォーラムを調べてみると、「64bit OS 上での問題ではないか」というディスカッションがあった。Adobe自体は、Windows7 64bit 上での Acrobat X の動作を
「○」: 使用できます。(弊社で動作確認済みですが、64-bit の恩恵は受けません。32bit 環境と同じ動作になります)
としていて、Adobe社からの「動作不良」などの公式なアナウンスは見つからなかった。
参考:アドビ製品の 64-bit 対応状況

そこでものは試しだと思い、「互換モード」で Windows7 (32bit)に設定してみた。
その後は一度もフリーズすることなく、ここ2週間ほど正常に動作し続けている。

Windows7の「互換モード」の設定法などについては以下を参照。
Windows 7実践ナビ – Windows 7の互換機能を使いこなす(互換モード編):ITpro

白馬村から八方尾根に

井上荒野『キャベツ炒めに捧ぐ』に、「ふきのとう」をめぐって、亡くなった夫と訪ねた信州に再び足を向ける話がある。目指すところは高速道路のインターを降りて、そこから一般道を一時間ほど、途中で「二つ連なって現れる湖」と、その道順についての記述があった。八方山頂 July 1990

読みながら「どこだろう」と考えた。高速道路の安曇野インターから北へ、147号線で安曇野、大町をとおって白馬村へ向かう道か。確かに、木崎湖があって、その先しばらく行くと青木湖が見えてくる。その道をとおって、家族皆で八方尾根にのぼったことを思い出した。上の子は小学校入学前、下の子は2歳だったので、もう25年前のことだ。

八方尾根 July 1990子供たちにとっては初めて二千メートル級の山だ。八方尾根は千八百メートルまでリフトを乗り継いで安全に上がることが出来る。そこから先の八方池までは軽装でも問題がない。とはいえ、下の子は背負子で負ってのぼった。子供たちはケルンから、足下に雲が流れる景色を初めて見たのだった。

そんな子供たちとの時間をとおして、私たちは親になってゆく経験をすることが出来た。今はただ、子供たちには充実した人生を歩んで欲しい、そう願うのみだ。

Sheryl Sandberg shares what she’s learned about loss and grieving

以下、Sheryl Sandberg の Facebook の投稿について、WSJから。
Sheryl Sandberg shares what she’s learned about loss and grieving – MarketWatch

Published: June 3, 2015 2:14 p.m. ET
By Claudia Assis
URL:http://www.marketwatch.com/story/sheryl-sandberg-shares-what-shes-learned-about-loss-and-grieving-2015-06-03

Sheryl Sandberg – Today is the end of sheloshim for my…   on Facebook

彼女(Sheryl Sandberg)のこのメッセージには共感する点が多い。突然に伴侶を亡くすなど、誰もがする経験ではない。願わくば、したくはない。しかし人は必ず死ぬ。夫婦であればどちらかが先に逝く(「同時に」もあろう。それらの多くは事故や災害だろうから、より悲しみは深い)。

While the experience of grief is profoundly personal, the bravery of those who have shared their own experiences has helped pull me through. Some who opened their hearts were my closest friends. Others were total strangers who have shared wisdom and advice publicly. So I am sharing what I have learned in the hope that it helps someone else. In the hope that there can be some meaning from this tragedy.

同じような経験をした人の話や言葉、「悲しみ」に添おうとしてくれる気持ち、それらがどれほど助けになるか、それがわかった。「それを共有することが誰かの助けになる、希望になる」と、これを記した彼女は、聡明で勁さをもった人なのだろうと思う。

I have learned that I never really knew what to say to others in need. I think I got this all wrong before; I tried to assure people that it would be okay, thinking that hope was the most comforting thing I could offer.(中略)
Real empathy is sometimes not insisting that it will be okay but acknowledging that it is not. When people say to me, “You and your children will find happiness again,” my heart tells me, Yes, I believe that, but I know I will never feel pure joy again. Those who have said, “You will find a new normal, but it will never be as good” comfort me more because they know and speak the truth. Even a simple “How are you?”—almost always asked with the best of intentions—is better replaced with “How are you today?” When I am asked “How are you?” I stop myself from shouting, My husband died a month ago, how do you think I am? When I hear “How are you today?” I realize the person knows that the best I can do right now is to get through each day.

妻の死からしばらくの間、「お寂しいでしょう」「ご不自由でしょう」といった類の言葉をかけられた。受ける側からすると、これらはたんに「私はあなたの不幸を知っている」という意味でしかない。そんな言葉しか持たないのなら、ただ「こんにちは」だけの方がよほどありがたい。彼女も同じようなことを書いている。

I have learned gratitude. Real gratitude for the things I took for granted before—like life. As heartbroken as I am, I look at my children each day and rejoice that they are alive. I appreciate every smile, every hug. I no longer take each day for granted.

彼女は「感謝することを学んだ」とも記す。子供たちをみて、ただ、生きているということにも感謝の念をいだくのだと。

妻の死のあと、私もいくつかのことを学んだ。悲嘆や絶望は永遠に続くものではない、日々の暮らしを重ねて行くことで、少しずつだが、確実に薄まってゆくものなのだと。

追記(2015/06/09)
日本語版:「喪失感と悲しみを超えて」 サンドバーグ氏、亡き夫偲ぶエッセー – WSJ

出雲路橋と金糸梅

出雲路橋の西詰(欄干と金糸梅、2015.05.31 10:58)初夏をむかえる頃、賀茂川の河川敷でよく見かける背の低い、こんもりした花木。黄色い花をたくさんつけていて、花の形が梅に似ている。金糸梅(キンシバイ)という名であること、中国原産であること、江戸時代に日本に入ってきた(らしい)ことなどを園芸店の人に教えてもらった。

出雲路橋西詰の金糸梅(キンシバイ)金糸梅(2015.05.31 10:59)、南東方向をみる。遠くには大文字山。

この橋はなぜ出雲路橋(いずもじばし、旧かなはイヅモ)なのか、出雲の国は京都の西なのに、などと不思議だった。『京都歴史アトラス』1994年9月, 足利健亮(編)などでみると、古代氏族の出雲氏がこのあたりに住んでいて、鎮守社の出雲井於神社があったことが地名の由来だとか。

出雲路橋の西詰は鞍馬口、御土居の切れ目。鞍馬街道への出入り口だった。出雲路橋はこの鞍馬口からみると少し南にズレている。鞍馬口を出て賀茂川を渡る橋は、明治の中頃になって架けられたのだそうだ。それまでは賀茂川のなかを渡っていたのだと。

京都市の近代的な地形図は、陸軍参謀本部が明治22年(1889)に測量し、同25年に刊行した「仮製地形図(二万分の一)」が最初のものだ。その地図で見ると鞍馬口に橋はないが、賀茂川のなかを渡る道は描いてある。

賀茂川(出雲路橋から南、下流をみる 2015.05.31 10:59)橋の欄干にある川の名前は「鴨川」だ。私たちは、出町の高野川との合流点以北を「賀茂川」、それ以南は「鴨川」と呼称しているのだが、河川法上の正式名称は「鴨川」なんだそうな。「そんなもん、たかだか明治以降のこと。東の人らが勝手につけはった名ですがな。ここは賀茂川」と、京都の私たちは思っている。

ドキュメンタリー映画『何を怖れる〜フェミニズムを生きた女たち』

昔の勤め先の近くに、古い民家を改造した「ウィメンズ・ブックストア」という小さな本屋があった。職場にもっとも近いその書店に、私は雑誌の取寄せをたのんでいた。たびたび店をのぞくので店主や店員さんとも顔見知りになり、昼休みにお茶をごちそうになったりするようになった。

当時(1980年代)、その書店はフェミニズムやジェンダー問題に取り組む人たちの京都におけるセンターのような場になっていた。そこには近くの女子大に勤務していた上野千鶴子さんもいらしていて、挨拶くらいはしたと思うが、話をした憶えはない。妙な例えだが、抜き身の刀を手に歩いているような、上野さんはそんな凄味を感じた。

「ウィメンズ・ブックストア」はその後に活動の拠点を大阪に移した。私が勤め先を辞めたこともあって、書店とのつきあいも終わった。

以下のサイトで、松井久子監督の映画に関するインタビュー記事を見て、映画の予告編をみたときに、中西さんをはじめ見知ったお顔が複数あった。
フェミニズムは「ブス女のヒステリー」ではない―男も女も誤解している、フェミ運動の本当の姿 – ウートピ
フェミニズムは男性をも救う ドキュメンタリー監督が指摘する「男と女の対立構造の罠」 – ウートピ
この映画のサイトは以下。
ドキュメンタリー映画 何を怖れる フェミニズムを生きた女たち

松井久子監督:「個人的なことは政治的である」
ドキュメンタリー映画『何を怖れる〜フェミニズムを生きた女たち』はこんな言葉から始まる。
東京では1月から2月にかけてミニシアターで単館上映された『何を怖れる』は、ウーマン・リブの時代を生きた12人の女性をインタビューしたドキュメンタリー映画だ。

見てみたいと思ったが、京都での上映予定は、いまのところないようだ。

フェミニズムに関して、私は松井さんの感覚に近い。主張はわかるが方法や(彼女らの)口調に違和感をもっていた。それは、男一般が女の敵じゃない、「男社会」は男も生きにくい、男らしさを求めるのは(男より)女なんじゃないか、「男社会」を構成する男たちを産み育てたのは母という女たちだ、などなど。ただ、彼女たちの運動や戦いがあったからこそ、男女間に差異をもうけないことが「社会的に正しいこと(Social Correctness)」として認知されてきた、そのことは確かだと思う。

新緑が輝く

新緑は良い。京都のいたるところに、まさに輝くばかりだ。この時期の朝は空気の感触、においまでもが生命に満ちている。新緑の森の向こうに朝日がのぼる(2015.05.13 06:45)賀茂川から北方向をのぞむ(2015.05.12 07:49)上賀茂にて(2015.05.15 07:15)宝ヶ池(2015.05.18 06:35