備忘:Google Nik Collection for free

今朝、Googleのブログで以下の記事を見つけた。

Today we’re making the Nik Collection available to everyone, for free. Photo…

Starting March 24, 2016, the latest Nik Collection will be freely available to download: Analog Efex Pro, Color Efex Pro, Silver Efex Pro, Viveza, HDR Efex Pro, Sharpener Pro and Dfine.

Google Nik Collection (URL:https://www.google.com/nikcollection/)

“Nik Collection” はデジタル画像にさまざまな効果(どちらかと言えばプロ用)を加えるソフトウェア群で、そこそこには知られている(と思う)。しかし、ちと価格が高い。 Adobe Photoshop でもそこそこどころか、かなりのことはできる。が、かなりに面倒でそれなりの熟練(つまりは失敗の数)がいる。”Nik Collection” の良いところは、それらの効果が予めボタン一つ(いや、クリック一つか)でできるところだ。

この記事を書く前 に、すでにダウンロードして試している。インストールすると Adobe Photoshop の [Filter] に自動で登録される。

これは面白い。”Dfine 2″ はデジタル画像のノイズを除去するソフトウェアで、ちょっとざらついた写真などに使うと、驚くほどなめらかな写真になる。”Color Efex Pro” もほどよく印象的な加工ができる。”HDR Efex Pro” などはあまりに芸術的すぎる出来あがりになるので、使う対象を選ぶ。(今のところは英語版のみの提供のようだ)。

今年の桜

高野川沿いの桜、背景は比叡山
高野川沿いの桜、背景は比叡山。

桜が咲き始めた。暖かい日が続いた先週半ば頃から、高野川沿いの桜はつぼみが脹らんできた。一昨日くらいから花がひらいてきている。
今朝は小雨だ。その所為か、早朝はとても静かで、ウグイスの声が明瞭に聞こえる。外は雨のにおいがした。

散歩からもどり紅茶をいれていると、風も少し強くなってきたようだ。花散らしの風雨にならなければよいがと祈る。しかし、週末は雨の予報だ。

私にとって桜は入学式の思い出に重なるのだが、子供たちの入学式は4月8日頃だった。京都では少しずつ桜の開花が早くなってきている。

黄金色の朝

今の時期、山の端から陽が差し始める瞬間、光が黄金色に輝く。

この日の朝は気温が下がった。湖面からは蒸気霧が上がっている。暖かい水面上に安定した冷たい空気があるとき、水面から発生した水蒸気が凝結してできるものだ。

黄金色の朝

上の写真は、宝ヶ池の西側から対岸の国際会館方面を撮ったもの。右側の山は比叡山。桜のつぼみが少し大きくなってきた。この日、京都の最高気温は20度を超えた。

『3.11からの夢』いろは出版

私の散歩道の一つ、京都市左京区の幡枝郵便局のお向かいにその出版社はある。1階などはほとんどガラス張りで中がよく見える。なぜか卓球台が真ん中に置いてあったりする。昨日もその前をとおった。

東日本大震災から5年たった。

『3.11からの夢』いろは出版
『3.11からの夢』いろは出版

『3.11からの夢』は、私にとっては買っておくべき、残しておきたい本だ。何年かして、成長した孫たちがふとした折りにこの本を手に取ってくれればよい、と思う。

詳しくは、いろは出版の本のページを。『3.11からの夢』東日本大震災から歩き出した、30人の夢を掲載|いろは出版。この本は若い編集者の苦闘と成長の成果でもある。

以下を追記(2016年3月18日)—

以下、朝日新聞の記事、「3・11からの夢」30人に聞いた 京都の24歳出版:朝日新聞デジタルに編集者の思いが記されている。

今年5月には、以下のニュース特集をもとにしたドキュメンタリーが放送されるとか。
かんさい情報ネット ten. | 読売テレビ(2016年3月1日 放送)

あれから5年 それでも私は夢を聞き続けた
東北とも震災とも無縁だったある24歳の女性が手掛けた本。3.11は多くの夢がなくなった日。被災地で夢を聞くことは“タブー”と感じながらも、それでも彼女は“夢”を聞き続けました。

空を飛ぶ夢

昔から空へのあこがれがあった。小学生の頃、少年雑誌の表紙にはよく小松崎茂さんのイラストが使われていた。第二次大戦時の飛行機の絵がとくに多かった。中学生も高学年になった頃には『航空ジャーナル』、『航空ファン』の二誌があったが、いまも続いているのは『航空ファン』だけだと思う。

『航空ファン』の『世界の傑作機』シリーズは印象深く、Ta152H を知ったのも、この『世界の傑作機』シリーズ の FW190 の号でだった。当時は、白黒写真と図面、カラーはイラストくらいでしか知り得なかったものが、今は、インターネットをとおして、動画やエンジンの音、コックピットからの風景まで容易に見ることが可能になった。

Ta152Hは、レシプロエンジンの航空機のなかで3000フィート(一万メートル)以上を飛行することを目的に設計された。ベースはFW190。与圧キャビン、2段3速過給器、GM-1出力増加装置を装備し、高度12,500mを750km/hで飛行できた。

戦後、以下を除きすべての機体は破壊された。
Focke-Wulf Ta 152 H-0/R11 | National Air and Space Museum
Focke-Wulf Fw 190D-9 > National Museum of the US Air Force

と、まぁ、昔は友人たちとこんな話を何時間もしていた。今、こんなオタク話ができる友人を見つけるのは難しいなぁと思う。

春は菜の花

洛北の我が家のあたりは、まだまだ田畑が多い。この時期、漬け物用のスグキの収穫は終わり、ところどころに食用のナバナ(菜花)が残っている。

菜の花は春を思わせるが、美味しそうとも思う。「菜の花」とはアブラナ科の黄色い花の総称で一種類だけを限定する名称ではない、ということを知ったのは、京都に住まいするようになってからだ。菜の花のおひたしを出されて、ナタネ(採種油用)は食べられるのかと言ったら、食用に改良された別の野菜だと教えてもらった。

食用の菜の花が、この時期からスーパーなどにも出回りはじめる。出始めは和歌山県産だったものが三月にはいると京都産、地元産にかわる。菜の花を二パック買って、パスタが茹であがる2分ほど前にその湯に入れて(ステンレス製のザルを使う)、ジェノベーゼに仕上げる。

写真は散歩の途中の「ナバナ」の畑、食用に栽培されているナバナの収穫後、花が開いてしまったものだと思う。

この日、日の出は6:46、日の入は17:37、昼時間は10:51。前日まで時には氷点下になっていた最低気温が、今日(2月13日)は9.9度になった。この黄色い花は初春の象徴だ。

振る舞いへの感性

いつも行くスーパーでのこと、レジで会計を済ませ、荷物を買い物袋に移していると、隣にいた女性が両手でくるくるとポリ袋を巻き取り、自分の買い物袋に入れたのだ。盛大に巻き取っていたので目についた(実際は音で気付いたのだが)。そのときに私は「さもしいなぁ」と感じ、こういう女性(男性もいた)は嫌だなと思った。

うどん屋で爪楊枝を余分に失敬する、喫茶店などで紙ナプキンを失敬する、まさか割り箸まで失敬する人は少ないだろうが、こういう行為を良しとするかしないか、そういう振る舞いへの感じ方の違いは、例えば、結婚生活などにおいては感性のズレとして蓄積してゆくのだろうなと思う。

吉村昭さんの短編に『再婚』という話がある。

主人公は、妻を亡くして3年、定年を迎えた男。独り暮らしにも慣れたが、同期会で会った友人が再婚をすすめる。本人も寂しさから「それも良いかな」と思い始める。二度見合いをする。一人目は亡くなった妻と同い年で未婚の女性。「ここまで老けることができるのか」と思うほどの顔の皺、話題の乏しさに「まだ妻に思いがある」と断る。次に、会社の部下だった女性、淡い好意を抱いていた。夫を亡くし、再婚に乗り気だと。昔の思い出から期待して出かけるが、立ち居振る舞い、表情、話題(音楽の趣味、民謡の踊りを楽しんでいる)、ホテルのレストランで注文がハンバーグ(主人公はタンシチューに温サラダ、ワイン)、食べ方にも違和感(無言で、忙しない)をいだく。話がはずまず、会計をしようと起ち上がる。ふと後ろをみると、その女がテーブルの爪楊枝を何本かハンドバッグに素早く忍ばせる。決定的な違いを見て、主人公は断り方を考え始める。平凡な夫婦だと思っていたが、亡くなった妻は自分にとって最良の女性だったのだと再認識する。

何をして「さもしい振る舞い」と感じるかは人それぞれだろう。が、人の相性を考える時、好きなことが似ているよりも、嫌いなことが同じ、という方が大切であるように思える。妻とは嫌だなぁと感じることやものが同じだったのだと、今更ながらに思う。

さて、その後、いつものスーパーでそんなことをする人は多いのか、さりげなく観察していると、一二枚くらいから両手でたっぷり巻き取る人まで、態様は様々だが、結構な確率でいることに気付いた。

夜明けの比叡山

日の出
日の出

この時期、夜明けの時刻は7時前になってきた。写真左側の山頂が比叡山だ。

それでもまだ陽の昇る位置は比叡山のずっと南側だ。7時20分頃に山の端に日が差し始める。

陽が当たると雲が黄金色に輝きはじめる。そのわずかな時間の色の変化を見るために、早朝、歩いている。

備忘:New App ”Just Not Sorry” in Elle Australia

言葉が変われば意識が変わり、行動が変わる。

Google Chrome用のアドイン(App)”Just Not Sorry” を開発した Tami Reiss のインタビュー記事(ELLEオーストラリア版)が以下。

New App Wants To Help Women Stop Apologising At Work : Elle
Meet The Woman Behind The New App That Takes ‘Sorry’ Out Of Your Emails

このAppは、メール作成時に、”just”, “sorry”, ”actually”, “I think”, “I’m no expert”, “does this make sense” などのキーワードを検出すると赤い破線で表示して、その単語やフレーズの使い方について一言アドバイスをくれるというもの。

実際、仕事のメールは効率第一なので、こうし た言葉はなくても失礼でも素っ気ない訳でもない(と、私は思っている)。日本語のメールならば、時候の挨拶とか「益々ご健勝のことと~」などの類い、「お世話になっております」とか「お疲れ様です」も不要だ。適切な言葉使いと論理的な文章こそが本質なのだから。

Tami Reiss がこのAppを開発した理由は、とくに女性からのメールではこういう言葉が多いことに気付いたからだと言う。そして、”What if we could create an environment or a structural change that would help people make this change?”

言葉が変われば意識が変わり、行動が変わる。メールでの言葉を変えることがそれにつながる。

2016/02/06に追記:日本語版が以下に。
「Just Not Sorry」の開発者、タミ・レイス
【ELLE】「申し訳ありません」は御法度? デキる女のメール術|エル・オンライン

備忘:(選べない国で)不惑を前に僕たちは 寄稿、作家・中村文則

朝日新聞, 2016年1月8日に掲載。備忘として採録しておく。以下、全文。

—–

「お前は人権の臭いがする」 国と同化、自己肯定の差別
(選べない国で)不惑を前に僕たちは 寄稿、作家・中村文則

僕の大学入学は一九九六年。既にバブルは崩壊していた。

それまで、僕達(たち)の世代は社会・文化などが発する「夢を持って生きよう」とのメッセージに囲まれ育ってきたように思う。「普通に」就職するのでなく、ちょっと変わった道に進むのが格好いい。そんな空気がずっとあった。

でも社会に経済的余裕がなくなログイン前の続きると、今度は「正社員になれ/公務員はいい」の風潮に囲まれるようになる。勤労の尊さの再発見ではない。単に「そうでないと路頭に迷う」危機感からだった。

その変化に僕達は混乱することになる。大学を卒業する二〇〇〇年、就職はいつの間にか「超氷河期」と呼ばれていた。「普通」の就職はそれほど格好いいと思われてなかったのに、正社員・公務員は「憧れの職業」となった。

僕は元々、フリーターをしながら小説家になろうとしていたので関係なかったが、横目で見るに就職活動は大変厳しい状況だった。

正社員が「特権階級」のようになっていたため、面接官達に横柄な人達が多かったと何度も聞いた。面接の段階で人格までも否定され、精神を病んだ友人もいた。

「なぜ資格もないの? この時代に?」。そう言われても、社会の大変化の渦中にあった僕達の世代は、その準備を前もってやるのは困難だった。「ならその面接官達に『あなた達はどうだったの? たまたま好景気の時に就職できただけだろ?』と告げてやれ」。そんなことを友人達に言っていた僕は、まだ社会を知らなかった。

その大学時代、奇妙な傾向を感じた「一言」があった。

友人が第二次大戦の日本を美化する発言をし、僕が、当時の軍と財閥の癒着、その利権がアメリカの利権とぶつかった結果の戦争であり、戦争の裏には必ず利権がある、みたいに言い、議論になった。その最後、彼が僕を心底嫌そうに見ながら「お前は人権の臭いがする」と言ったのだった。

「人権の臭いがする」。言葉として奇妙だが、それより、人権が大事なのは当然と思っていた僕は驚くことになる。問うと彼は「俺は国がやることに反対したりしない。だから国が俺を守るのはわかるけど、国がやることに反対している奴(やつ)らの人権をなぜ国が守らなければならない?」と言ったのだ。

当時の僕は、こんな人もいるのだな、と思った程度だった。その言葉の恐ろしさをはっきり自覚したのはもっと後のことになる。

その後東京でフリーターになった。バイトなどいくらでもある、と楽観した僕は甘かった。コンビニのバイト採用ですら倍率が八倍。僕がたまたま経験者だから採用された。時給八百五十円。特別高いわけでもない。

そのコンビニは直営店で、本社がそのまま経営する体制。本社勤務の正社員達も売り場にいた。

正社員達には「特権階級」の意識があったのだろう。叱る時に容赦はなかった。バイトの女の子が「正社員を舐(な)めるなよ」と怒鳴られていた場面に遭遇した時は本当に驚いた。フリーターはちょっと「外れた」人生を歩む夢追い人ではもはやなく、社会では「負け組」のように定義されていた。

派遣のバイトもしたが、そこでは社員が「できない」バイトを見つけいじめていた。では正社員達はみな幸福だったのか? 同じコンビニで働く正社員の男性が、客として家電量販店におり、そこの店員を相手に怒鳴り散らしているのを見たことがあった。コンビニで客から怒鳴られた後、彼は別の店で怒鳴っていたのである。不景気であるほど客は王に近づき、働く者は奴隷に近づいていく。

その頃バイト仲間に一冊の本を渡された。題は伏せるが右派の本で第二次大戦の日本を美化していた。僕が色々言うと、その彼も僕を嫌そうに見た。そして「お前在日?」と言ったのだった。

僕は在日でないが、そう言うのも億劫(おっくう)で黙った。彼はそれを認めたと思ったのか、色々言いふらしたらしい。放っておいたが、あの時も「こんな人もいるのだな」と思った程度だった。時代はどんどん格差が広がる傾向にあった。

僕が小説家になって約一年半後の〇四年、「イラク人質事件」が起きる。三人の日本人がイラクで誘拐され、犯行グループが自衛隊の撤退を要求。あの時、世論は彼らの救出をまず考えると思った。

なぜなら、それが従来の日本人の姿だったから。自衛隊が撤退するかどうかは難しい問題だが、まずは彼らの命の有無を心配し、その家族達に同情し、何とか救出する手段はないものか憂うだろうと思った。だがバッシングの嵐だった。「国の邪魔をするな」。国が持つ自国民保護の原則も考えず、およそ先進国では考えられない無残な状態を目の当たりにし、僕は先に書いた二人のことを思い出したのだった。

不景気などで自信をなくした人々が「日本人である」アイデンティティに目覚める。それはいいのだが「日本人としての誇り」を持ちたいがため、過去の汚点、第二次大戦での日本の愚かなふるまいをなかったことにしようとする。「日本は間違っていた」と言われてきたのに「日本は正しかった」と言われたら気持ちがいいだろう。その気持ちよさに人は弱いのである。

そして格差を広げる政策で自身の生活が苦しめられているのに、その人々がなぜか「強い政府」を肯定しようとする場合がある。これは日本だけでなく歴史・世界的に見られる大きな現象で、フロイトは、経済的に「弱い立場」の人々が、その原因をつくった政府を攻撃するのではなく、「強い政府」と自己同一化を図ることで自己の自信を回復しようとする心理が働く流れを指摘している。

経済的に大丈夫でも「自信を持ち、強くなりたい」時、人は自己を肯定するため誰かを差別し、さらに「強い政府」を求めやすい。当然現在の右傾化の流れはそれだけでないが、多くの理由の一つにこれもあるということだ。今の日本の状態は、あまりにも歴史学的な典型の一つにある。いつの間にか息苦しい国になっていた。

イラク人質事件は、日本の根底でずっと動いていたものが表に出た瞬間だった。政府側から「自己責任」という凄(すご)い言葉が流れたのもあの頃。政策で格差がさらに広がっていく中、落ちた人々を切り捨てられる便利な言葉としてもその後機能していくことになる。時代はブレーキを失っていく。

昨年急に目立つようになったのはメディアでの「両論併記」というものだ。政府のやることに厳しい目を向けるのがマスコミとして当然なのに、「多様な意見を紹介しろ」という「善的」な理由で「政府への批判」が巧妙に弱められる仕組み。

否定意見に肯定意見を加えれば、政府への批判は「印象として」プラマイゼロとなり、批判がムーブメントを起こすほどの過熱に結びつかなくなる。実に上手(うま)い戦略である。それに甘んじているマスコミの態度は驚愕(きょうがく)に値する。

たとえば悪い政治家が何かやろうとし、その部下が「でも先生、そんなことしたらマスコミが黙ってないですよ」と言い、その政治家が「うーん。そうだよな……」と言うような、ほのぼのとした古き良き場面はいずれもうなくなるかもしれない。

ネットも今の流れを後押ししていた。人は自分の顔が隠れる時、躊躇(ちゅうちょ)なく内面の攻撃性を解放する。だが、自分の正体を隠し人を攻撃する癖をつけるのは、その本人にとってよくない。攻撃される相手が可哀想とかいう善悪の問題というより、これは正体を隠す側のプライドの問題だ。僕の人格は酷(ひど)く褒められたものじゃないが、せめてそんな格好悪いことだけはしないようにしている。今すぐやめた方が、無理なら徐々にやめた方が本人にとっていい。人間の攻撃性は違う良いエネルギーに転化することもできるから、他のことにその力を注いだ方がきっと楽しい。

この格差や息苦しさ、ブレーキのなさの果てに何があるだろうか。僕は憲法改正と戦争と思っている。こう書けば、自分の考えを述べねばならないから少し書く。

僕は九条は守らなければならないと考える。日本人による憲法研究会の草案が土台として使われているのは言うまでもなく、現憲法は単純な押し付け憲法でない。そもそもどんな憲法も他国の憲法に影響されたりして作られる。

自衛隊は、国際社会における軍隊が持つ意味での戦力ではない。違憲ではない。こじつけ感があるが、現実の中で平和の理想を守るのは容易でなく、自衛隊は存在しなければならない。平和論は困難だ。だが現実に翻弄(ほんろう)されながらも、何とかギリギリのところで踏み止(とど)まってきたのがこれまでの日本の姿でなかったか。それもこの流れの中、昨年の安保関連法でとうとう一線を越えた。

九条を失えば、僕達日本人はいよいよ決定的なアイデンティティを失う。あの悲惨を経験した直後、世界も平和を希求したあの空気の中で生まれたあの文言は大変貴重なものだ。全てを忘れ、裏で様々な利権が絡み合う戦争という醜さに、距離を取ることなく突っ込む「普通の国」。現代の悪は善の殻を被る。その奥の正体を見極めなければならない。日本はあの戦争の加害者であるが、原爆・空襲などの民間人大量虐殺の被害者でもある。そんな特殊な経験をした日本人のオリジナリティを失っていいのだろうか。これは遠い未来をも含む人類史全体の問題だ。

僕達は今、世界史の中で、一つの国が格差などの果てに平和の理想を着々と放棄し、いずれ有無を言わせない形で戦争に巻き込まれ暴発する過程を目の当たりにしている。政府への批判は弱いが他国との対立だけは喜々として煽(あお)る危険なメディア、格差を生む今の経済、この巨大な流れの中で、僕達は個々として本来の自分を保つことができるだろうか。大きな出来事が起きた時、その表面だけを見て感情的になるのではなく、あらゆる方向からその事柄を見つめ、裏には何があり、誰が得をするかまで見極める必要がある。歴史の流れは全て自然発生的に動くのではなく、意図的に誘導されることが多々ある。いずれにしろ、今年は決定的な一年になるだろう。

最後に一つ。現与党が危機感から良くなるためにも、今最も必要なのは確かな中道左派政党だと考える。民主党内の保守派は現与党の改憲保守派を利すること以外何をしたいのかわからないので、党から出て参院選に臨めばいかがだろうか。その方がわかりやすい。

なかむらふみのり 1977年生まれ。2005年、「土の中の子供」で芥川賞。近著に「教団X」「あなたが消えた夜に」。作品は各国で翻訳されている

◆シリーズ「選べない国で」はこれで終わります。

—– 引用、以上。

朝、白川にたつ哲学者

夜明け前の空は薄紫夜明けをはさんだ時間の散歩に出ることはほぼ日課になっている。この季節の夜明けは7時過ぎなので、6時はまだ夜だ。それでも東の空、山の端は少し明るくなってくる。

右の写真は1月2日の早朝、中空には月が輝いていた。

さて、今日(1月3日)は自転車で少し遠くまで散歩に出た。6時に家を出て、まずは平安神宮へ向かう。歩道に改修された参道には、両側に初詣目当ての屋台がいっぱい出ている。この時間に開けている店はない。カラスがゴミ目当てに集まってきている。

三条に出て白川の左岸を南へ、途中で光秀の首塚に寄ってみる。白川沿いの道から路地を少し中に入った場所だ。周囲は昔ながらの住宅地、その一角にひっそりと小さな祠と鳥居がある。

白川にアオサギが一羽(三条下ル)白川の中にアオサギが一羽、随分と長い間じっと立っていた。一点を見つめている(ように見えた)、まるで思索する哲学者のように。(それを私もじっと見ていたわけだが)。

その後は知恩院の山門へ。そこから青蓮院の前をとおり、7時には粟田神社へ。
粟田神社下の道をそのまま東にすすむと、都ホテルで行き止まりになる。昔の道はここを通って三条通に合流し日ノ岡に続いていたはずだ。古地図を確認すると、やはりそうだ。1920年の地図にはまだ都ホテルはなく、京都市の発電変電所はある。疎水沿いの道が当時は主たる通りだったようだ。三条通は狭い路地のようだ。

この時間はまだ街が動き始める前、車もほとんど走っていないし、人もいない。そういう時間が好きだ。